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【絶対の有る無し】(「シティライフ」7月11日号掲載)

 「この世に絶対はありません」…例えば毎日の暮らし。皆がいつ、どうなるかわからないまま、不安を抱えて生きています。多分この方が良い結果が得られるであろうという確率論でもって努力・精進をするわけですが、結果はどう出るかわかりません。なんでこうなるの?と叫びたくなることも往々にして起こります。
「この世に絶対はある」…ならば、どうでしょう。絶対とは決して変わらぬホンモノです。だから人生の支えとなり、頼りにできます。絶対を拠り所とし、その上で確率の高い方を目指して生きれば良いのです。いえ、思い切って難しいことに挑戦することも出来ますよね。だって何があるか知らんが、何かあっても「絶対」大丈夫なのですから。
 絶対とは御仏様です。最後の最後まで私に寄り添い、支えて下さるお方です。絶対だからもうダメということがありません。御仏と共に安心の人生の中で励み、勤めることが出来るのです。

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【父の思ひで…】(弘教寺だより平成21年7月号掲載)

 つい先日、ふと父親とのエピソードを思い出しました。ガンで余命三ヶ月の宣告を受けていた父親ですが、傍目からは気丈に振る舞っていました。療養ベッドの枕元にはたくさんのオーディオ機器、音楽・電気雑誌を並べ、寝たままでも好みのクラシック音楽が自由に聴けるように工夫しておりました。趣味で音響機器を自作していたこともあり、笑いながら「死ぬのは仕方ないが、なんとかこの脳みそだけは保存出来ないものだろうか」と漏らしたのです。正直私は「そこまでの頭脳かどうかは…ちょっと思い上がってるな~」と感じました。
 この出来事を思い出したきっかけは、実は私が子供の将来を考えたとき、私もいずれ死ぬのだし、そうなれば自分の思いも伝えられなくなる。ならば「なんとかこの脳だけでも残せないものかな」と感じたからでした。…父が脳みそを残したいと発言した裏に、命終後も家族とずっと関わっていたい、いや素直に「もっと生きていたい」という気持ちが隠されていたのではないかと、今頃思うようになりました。
 取り乱すこと無く、静かに今生の命終わっていった一住職でした。早いもので今年の冬に17回忌を迎えます。

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【自業自得】

 表題の言葉を聞いて笑顔になるお方はいないでしょう。もしみえたとしたら他人に対しての冷ややかな笑いでしょうか。一方で「結果の総取り」という言葉はいかがですか。なんだかとてもお得な感じがしませんか。
 実はこの二つの言葉は全く同じ意味で、「自らの行為の結果は自分が受ける」という自然の事柄を表しているのです。
 今の自分の苦境、その根本原因は自らにあるとするのが仏教の見方です。例え不可抗力というべき原因があっても、それを先祖や他所のせいにするのは害のみありて無意味なことです。
 事故や病気も含め、苦楽全ては自分が引き受けて、誰にも代わってもらうことは出来ません。辛いことですが、それが生きるという現実です。苦しみを感じるのは自分ですが、また喜びを感じられるのも他ならぬ自分です。どんなときにも御仏様がご一緒の人生です。独りぼっちにはさせないぞとお誓い下さっています…えぇ大丈夫ですよ。

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