【生き方を問わない】(『シティライフ』令和3年3月13日号掲載)
阿弥陀仏は私の生き方を問いません。でもそう伺うと、「何したってよい」また「何もしなくてもよいのか」と思うのが私です。
生き方を問わないとは、真面目に一生懸命生きている(と思い込んでいる)私に向けられた言葉です。
私は辛い思いを抱えながら日々精一杯生きています。しかし自らの行動が本当に正しいのかどうかはよく分かっていません。それを決めているのは不完全な存在である私や他人です。
結局のところ、私達は「多分、正しい」との判断で生きているに過ぎません。
何をしてもよい、また何もしなくてもよいはずはありません。でも、たとえ「これが本物の人生だ」とお手本を示されても、実際にそう生きられなければ、かえって私には負担となります。他の生き方など出来ない私は戸惑うばかりです。
生き方に注文を付けず、どうあっても私をすくう、悟らせると誓われたのが阿弥陀仏です。「私を決して空しく命終わらせない」仏様です。その御慈悲に感謝しつつ、今をしっかりと生きて参りましょう。
生き方を問わないとは、真面目に一生懸命生きている(と思い込んでいる)私に向けられた言葉です。
私は辛い思いを抱えながら日々精一杯生きています。しかし自らの行動が本当に正しいのかどうかはよく分かっていません。それを決めているのは不完全な存在である私や他人です。
結局のところ、私達は「多分、正しい」との判断で生きているに過ぎません。
何をしてもよい、また何もしなくてもよいはずはありません。でも、たとえ「これが本物の人生だ」とお手本を示されても、実際にそう生きられなければ、かえって私には負担となります。他の生き方など出来ない私は戸惑うばかりです。
生き方に注文を付けず、どうあっても私をすくう、悟らせると誓われたのが阿弥陀仏です。「私を決して空しく命終わらせない」仏様です。その御慈悲に感謝しつつ、今をしっかりと生きて参りましょう。