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【なぜ仏に成る?】(『弘教寺だより』令和3年2月号掲載)

 故人様の法事で、御写真を安置して、そのお顔を見ると安心できる、久しぶりに会えたよう気がして嬉しい…そのようなお気持ちになるお方は多いと思います。
 でも将来…「自分の法事」で、自分の写真を安置して勤められたときに、家族が「会えて嬉しい」と喜んでくれるかどうかはわかりません。『とにかく口うるさい親父だったからな』と言われたりして。そんな光景を想像すると怖くなります。
 なぜ阿弥陀仏は我を死後に仏と仕上げるのか…なぜ故人のままに、また想い出の存在にしておかないのか? 一つには故人と遺された者には様々な愛憎関係があったからです。素直にその人の死を悲しめない人々も多く存在することでしょう。
  故人が生前に遺族とどのような関係であったとしても、煩悩を滅し、仏と生まれられたのだから、すべての人の死の後に仏と仏子(=遺されし者)の関係が新たに生まれます。苦悩の人生を歩む遺されし者が心配でならなくて、寄り添い、導き続けて下さいます。故人をそんな仏様と頂くとき、遺されし者全てが無条件で手を合わせることが出来るのです。

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